母のこと [雑記]
5月頃から、母の看病のために宮崎と福岡を行ったり来たりしていましたが、7月になってからはほとんど帰ったままになっていました。
そして今月下旬、実家の庭の鹿の子百合が咲き始めて間もなく母が逝きました。
指先が器用だった母は病院のベッドで眠っている時に夢でも見ているのか、お腹の上に置いた両手をしきりに動かすので、後で訊いてみると縫い物をしていたそうです。
子どもの頃の洋服はワンピーズやブラウスやスカートも、毛糸のセーターも全部母の手作りによるものでした。
亡くなるその日まで意識があったので、様々なことを話す時間を持てたことはとても幸せでした。
人に甘えず出来る限りのことは自分でしようとしていた母、自分が死んだあとのことまで私たちが困らないよう準備していました。
寂しさと哀しみが時折襲ってきますが、母は私の中に居ると思うと少し穏やかになれます。
祖母から母へ、母から私に、私から娘に、更にその子どもへと命の確かな繋がりを感じ、自分もまたいつか役割を終えればこの世を去って行くのだから、それまでは懸命に生きようと思うこの頃です。
* 前回、母へのお見舞いの言葉をいただいた方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
そして今月下旬、実家の庭の鹿の子百合が咲き始めて間もなく母が逝きました。
指先が器用だった母は病院のベッドで眠っている時に夢でも見ているのか、お腹の上に置いた両手をしきりに動かすので、後で訊いてみると縫い物をしていたそうです。
子どもの頃の洋服はワンピーズやブラウスやスカートも、毛糸のセーターも全部母の手作りによるものでした。
亡くなるその日まで意識があったので、様々なことを話す時間を持てたことはとても幸せでした。
人に甘えず出来る限りのことは自分でしようとしていた母、自分が死んだあとのことまで私たちが困らないよう準備していました。
寂しさと哀しみが時折襲ってきますが、母は私の中に居ると思うと少し穏やかになれます。
祖母から母へ、母から私に、私から娘に、更にその子どもへと命の確かな繋がりを感じ、自分もまたいつか役割を終えればこの世を去って行くのだから、それまでは懸命に生きようと思うこの頃です。
* 前回、母へのお見舞いの言葉をいただいた方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
タグ:母
2014-07-30 21:20
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コメント(20)
素敵なお母様ですね。
お母様との思い出を大事に。
by assimane (2014-07-30 22:18)
ご冥福をお祈りします。
by 青の風画 (2014-07-30 23:33)
sako さんのセンスはお母さん譲りだったのですね。
ご冥福をお祈りします。
by katakiyo (2014-07-31 05:10)
心よりお悔やみ申し上げます。
他の方もおっしゃる通り、
sakoさんのハンドメイドの美しさは
お母様譲りだったんですね。
お母様は、夢の中で何を縫っていたのかしら・・・。
まだしばらくは、色々と多忙かと思いますが、
暑い日が続きますので、お身体ご自愛ください。
by enpoko (2014-07-31 18:54)
素敵なお母さまだったんですね。
最期にゆっくり一緒に時間を過ごすことができて
よかったです。
ご冥福をお祈りいたします。
by ふにゃいの (2014-07-31 22:07)
とてもしっかりされた素敵なお母様だったのですね。
いまは いろいろやらなければいけない事があって
気もはっているかと思います。
季節も暑いときなので ほっとされた時 お疲れがでない様にされてください。
ご冥福をお祈りいたします。。
by shinoan (2014-08-01 00:37)
お母様のご冥福をお祈りします。
素敵な方だったのでしょうね。
自分も今はもういない母親のことを少し思い出しました。
by ameya (2014-08-02 08:12)
南無阿弥陀仏。
昔の人は立派です。
by 夏炉冬扇 (2014-08-02 18:16)
★assimaneさん
ありがとうございます。
★青の風画さん
ありがとうございます。
★katakiyoさん
ありがとうございます。
いくらかは受け継いだでしょうか…なかなかまね出来ません。
★enpokoさん
ありがとうございます。
母は夢の中でお人形の服を作っていたそうです。フリルを付けようとしたと言ってました。
昔、私が子どもだった頃よくそうしてくれてましたから。
★ふにゃいのさん
ありがとうございます。
親孝行する時間を与えてもらいました。
★shinoanさん
ありがとうございます。
片付けは少し涼しくなってからすることにしました。
★ameyaさん
ありがとうございます。
会うことはなくなっても、母の存在が消えることはないですね。
★夏炉冬扇さん
ありがとうございます。
大変な時代を生き抜いて来たのですから、敵いません。
by sako (2014-08-02 23:22)
お母様のご冥福を心よりご冥福をお祈りいたします
お母様からsakoさんへの愛情
sakoさんからお母様への愛情がひしひしと伝わってきました。
お疲れが出ませんように、お体ご自愛くださいね。
by まりっぺ (2014-08-05 14:45)
まりっぺさん
ありがとうございます。
母は最後まで私たちに惜しみない愛を注いでくれました。
私も次の世代に惜しみない愛を注ぐことが母への感謝になると思います。
by sako (2014-08-05 22:51)
私は子どもの時に父を亡くしたのですが
未だに喪失感があります。
正直言うと人間的にも合わなかったし
父親としてもどうなのかな、という面もありましたが
どんな親でも親は親なのですね。
今も人生を振り返ると家族みんなが揃っている頃が
一番良かったなあと思います。
がんばってください
by いっぷく (2014-08-06 03:42)
いっぷくさん
ありがとうございます。
男の子にとって父親は一番身近な大人の男性ですから、子ども時代にお父様を失ったことは喪失感があって当然なことなんだろうと思います。母に人生で一番楽しかったのはいつかと尋ねたら、あなたたちを育てていた頃だねと言ってました。昭和30年代、苦労も多かったでしょうけど充実感のある日々を送っていたのかなと思いました。
この年になるまで母がいて見守ってくれたことに感謝ですね。
by sako (2014-08-06 23:31)
初めてのご訪問でお母様の訃報を知りました。
哀しみや寂しさ、とても良くわかります。
優しかったお母様との思いではしっかりと心に
残ることと思います。
いつまでも忘れずに思い出話をされればずっと近くに
居られると感じることができるでしょう!
我が母は私が30代で病気で亡くなりました。
それでも未だに母に会いたいです。
by yoko-minato (2014-08-07 12:11)
yoko-minatoさん
初めまして、そしてコメントをありがとうございます。
30代というと、お母様に子育てのことなど相談したいこともあったでしょうし、また嬉しいことを共感してもらったりしたかったことでしょうね。この年になるまで母が居てくれたことは恵まれていたと思います。
by sako (2014-08-08 00:00)
心よりお悔やみ申し上げます。
私の母が他界し寂しさをブログに綴っていた頃に、同年代とはまた違うsakoさんからのメッセージがとても心に響き励まされたのを思い出しました。
最期までお話が出来たと言うことはとても幸せでしたね。
私の母は話すことがままならなかったので「ああしてあげれば良かった。もっとこうしたら良かったのか」と晩年は最善をつくしても後悔が残ったものでした。
とても素敵で愛情深いお母様。ベットの上で縫い物をしていたお話には涙がこみ上げました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
by maporin (2014-08-10 01:33)
合掌
by COLE (2014-08-10 19:53)
★maporinさん
ありがとうございます。
あまり時間が残されていないと分った母は私に「何も悲しむことはないよ、あなたたちには充分してもらったからね。」と言いました。
母は最後に私たちに看病させる時間をくれたのだと思います。
maporinさんがその時に一生懸命尽くされたことはお母様に届いていたはずですよ。安心してください。
やがて私にもその時が来たらジタバタしないでいられたら良いなと思います。そのためには今をしっかり生きることなんでしょうね。
★COLEさん
ありがとうございます。
by sako (2014-08-11 22:37)
命の確かな繋がり、
人にとってこの営みに勝るものはありません。
母上様のご冥福をお祈りします。
by e-g-g (2014-08-12 15:52)
e-g-gさん
ありがとうございます。
年齢を重ねるに連れて、次世代に繋げて行くことの意味がわかるようになりますね。
by sako (2014-08-12 21:17)